東京高等裁判所 昭和56年(ネ)215号 判決 1982年6月30日
控訴人 朝山作二
被控訴人 小金井誠子
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(控訴人)
一 原判決を取消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
(被控訴人)
主文と同旨。
第二当事者の主張及び証拠
当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人)
一 控訴人は結核性肋膜炎で入院中の林田クミの主治医として同女と知合つたのであり、○○病院勤務中に自宅で夜間診療をしていたころ、看護婦資格のあつた同女に二週間ほど医療行為の補助をうけたことはあるが、同女を自宅に住込ませたことはない。とくに、同女の当時の病状からみて、医師たる控訴人が同女と男女の関係を持つような常識に反する行動をとるわけがない。
二 もし被控訴人がクミと控訴人との間の子であるとすれば、同女は当然認知請求するはずであるのに、昭和一〇年ころ控訴人を相手方として同女の代理人○○○○○弁護士が申立てた訴訟ないし調停事件は認知請求ではない。そして、右事件において、控訴人は殆んど関与せずにその母朝山阿貴がもつぱら交渉にあたつたのであるから、その話合の結果として阿貴が被控訴人を養子にしたことは、被控訴人が控訴人の子であることを裏付けるものとはいえず、被控訴人の本件認知請求は単なる想像によるものにすぎない。
三 なお、控訴人は全く身に覚えのない本件認知請求により鑑定のための採血をされることを憤り、これを拒否したもので、この態度を親子関係存否の認定に結びつけるのは不当である。
四 乙第一ないし第三号証を提出し、当審証人朝山順子の証言を援用。甲第六号証が被控訴人主張のような写真であることは知らない。
(被控訴人)
一 昭和九年六月ころ被控訴人を妊娠中の林田クミから、控訴人との内縁、婚姻関係をめぐる紛争解決についての委任をうけた○○弁護士は、控訴人から委任をうけた朝山阿貴と交渉したが、控訴人とクミの結婚に反対し、被控訴人の存在が控訴人の幸福な結婚の妨げとなることをおそれていた阿貴は、認知請求を回避する方便として、被控訴人を自分の養子とせざるをえなかつたのである。だからこそ、阿貴は被控訴人と養子縁組しながら自宅に一度も連れてこなかつたし、縁組後わずか六か月後に伊勢崎夫妻に養子に出したのであり、さらにその六か月後には控訴人は順子と結婚しているのである。
二 医師である控訴人が鑑定に応じない理由は、被控訴人が自分の子であることを知悉しており、鑑定してもその親子関係を否定する結果が出ないことを知つているからである。
三 甲第六号証(昭和一〇年一一月伊勢崎とめ撮影の被控訴人の写真)を提出し、当審証人伊勢崎とめの証言、当審における被控訴人本人の供述を援用。乙第一号証の原本の存在及び成立は認め、同第二、第三号証の成立は知らない。
理由
一 その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したと推定される甲第一ないし第五号証、原審証人○○○○○、同山形セキ、当審証人伊勢崎とめの各証言、原審における控訴人本人(後記措信しない部分を除く。)及び当審における被控訴人本人の各供述を総合すると、次の各事実が認められ、原審における控訴人本人の供述及び当審証人朝山順子の証言中、この認定に反する部分は、それ自体不自然であるばかりか前示の各証拠に照らしても直ちに措信できず、他に右認定に反する証拠はない(なお、前記○○証人の証言中、事件受任時期を昭和一〇年六月である旨述べた部分は、その証言する一連の経過事実からみると、昭和九年六月の誤りであると認められる。)。
1 林田クミ(明治四五年一月二二日生)は、福島県から上京して昭和七年ごろ○○○○○○○大学の付属看護婦学校を卒業したが、その後結核性肋膜炎で同大学病院に入院中にその治療を担当した勤務医の控訴人(明治三五年一二月一六日生)と知合い、昭和八年ころ控訴人が同病院勤務のかたわら控訴人現住居地の自宅で夜間診療を主とした診療所を開設した際、同所に住込みその診療の補助にあたつた(クミが二週間程度右診療の補助をしたことは、控訴人も自認するところである。)。
2 そのころ、クミは、右診療所を訪れた妹の山形セキに対し、控訴人と結婚する予定であると話した。
3 控訴人の母朝山阿貴は控訴人がクミと結婚することに反対し、昭和九年ころすでに被控訴人を懐胎していたクミを控訴人方から追出したため、同年六月ころ、クミは控訴人との結婚問題などをめぐる紛争解決を○○○○○弁護士に委任し、同弁護士は、そのころ控訴人を相手方として訴訟ないし調停を申立て、控訴人のために問題解決の衝に当つた阿貴や山元弁護士と約一年くらいの間接衝したが、その結果、右交渉期間中である昭和九年一〇月一六日にクミが生んだ被控訴人は阿貴の養子とし、さらに控訴人がクミに慰藉料を支払うことで話合いがつき、昭和一〇年五月一〇日被控訴人を阿貴の養子とする届出がなされた。なお、右交渉中に、控訴人側から被控訴人が控訴人の子でない旨の積極的表明はなかつた。
4 しかし、右縁組後まもなく、阿貴は都内の公共乳児施設を通じ、被控訴人の養親を募集し、これに応募した伊勢崎正人・同とめ夫妻は、被控訴人を右施設から引取り、同年一一月七日被控訴人を同夫妻の養子とする届出がなされたが、その間阿貴は同夫妻と会つていない。
5 被控訴人はその後、南朝鮮で同夫妻に養育され、昭和二八年ころクミの実家に照会し、実母クミが昭和一一年に死亡したこと、実父は控訴人であることを教えられ、その後、それが真実であるかを確認すべく知人などを通じて控訴人に会う努力をしたが果されず、昭和三六年四月に結婚して以降は生活、育児に追われてそのまま推移していたが、昭和五三年ころ控訴人に対する認知請求を決意し、その後、○○弁護士から昭和九、一〇年当時の事情を聴取できたことから、本訴請求をするにいたつた。
二 右認定事実、及び本件全証拠によるも林田クミが昭和九年当時控訴人以外の男性と性的関係を結んだと認めることができないことに照らすと、被控訴人は控訴人の子であると推認することができる。
なお、林田クミが控訴人に対し被控訴人の認知請求をしたことについての確たる証拠はないが、この点も、前記認定のとおりの被控訴人出生前からの交渉経緯に照らせば、右推認に反するものとはいえず、また、阿貴が被控訴人を養子にした事実だけでは直ちに被控訴人が控訴人の子であることを裏付けるものでないという余地があるとしても、前記認定のとおりの養子縁組に至る経過、その後直ちに面識のない伊勢崎夫妻の養子にしたことなどを考えると、認知請求を避けるため養子にしたと考えないと阿貴の行動は著しく説明困難であるといわざるをえない。
そして、控訴人が採血等に協力しないため原審において控訴人と被控訴人との親子関係存否の鑑定結果がえられなかつたこと、控訴人は当審においても右の点の鑑定申請をしなかつたことは本件訴訟上明らかであるところ、控訴人は林田クミが死亡している以上、右鑑定には意味がないかのように主張するが、少くとも親子関係否定の結果は確定的に得られる余地があるのであるから意味がないとはいえないし、鑑定に協力しないことをもつて直ちに控訴人に不利な判断をするのは相当でないとしても、その非協力の理由いかんにかかわらず、鑑定結果がえられない以上は、科学的裏付けなしに親子関係が存在すると推認することが不相当であるということはできない。
なお、被控訴人の認知請求がおくれたことについては、前記一の5項で認定したとおりの事情があるから、この点も、右推認を覆すに足りるものとはいえない。
三 したがつて、被控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は正当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 藤原康志 小林克巳)